魔法のじゅうたんは本当にじゅうたんである必要があるのか。

魔法のじゅうたんとは物語や童話に登場する空を優雅に飛ぶじゅうたんである。

アラビアン・ナイトやアラジンなどで有名なあれである。

アラジン

アラジンとジャスミンが相乗り(?)しながらおそらく今まで一回も合わせたことのないホール・ニュー・ワールドを完璧にハモってしまうくらい神秘的な乗り物であるが、はたしてこれはじゅうたんである必要があるのだろうか。

「空をとぶ」というのはじゅうたんに付加されて当然な要素ではないし、同じように四角っぽいものなら何を飛ばしてもよかったのではないか。

例えば「空飛ぶじゅうまん(10万)」はどうだろう。
既にじゅうたんありきな発想ではあるが人間の固定観念はなかなか拭えないものなので仕方ない。

というわけで実際にじゅうまんにアラジンとジャスミンを乗せてみよう。

空飛ぶ10万

なんとも雑な乗せ方ではあるが、まぁイメージは理解していただけるはずだ。

しかしどうだろう。アラジンとジャスミンはどうみても大泥棒にしか見えない。
アラジンは生きるために泥棒を働いていたが、そんなレベルの泥棒ではない。

さながらディズニー版ルパン三世という感じもしなくもないが、これではルパンよりもたちの悪いただの金の亡者であり、子どもたちが見るファンタジーとしては残念ながら不適正である。

もっと子どもたちが見ても害のないものでなくてはいけない。
そうなると、みんなが好きな食べ物とかがいいかもしれない。

「空飛ぶぎゅうたん(牛タン)」はどうか。

空飛ぶ牛タン

一気に生臭い画像になった。
正直、牛タンに乗りながらホール・ニュー・ワールドなんか歌われてもまったく感動しない。そもそも生の牛タンに乗りながら冷静にハモれる精神状態にこの2人もないだろう。ジャスミンに至っては王女さまなのだ。生肉に乗ろうという誘いなどにべもなく断るに違いない。

だが、悔しいが少し美味しそうでもある。

こうすればイケるんじゃないだろうか。

空飛ぶ牛タン2

もはやアラジンとか関係なくなったが、牛タンが名産の仙台へと誘う広告に使うことが出来るのではないだろうか。「がんばれ日本」的なメッセージも込められていて子どもから大人まで幅広い層に見てほしいテーマである。時代に合わせてアラジンという物語も変わっていかなければいけないのだ。

ホール・ニュー・センダイ
ホール・ニュー・ジャパン
ホール・ニュー・ワールド

とても平和的な作品に仕上がるだろう。

どうだろうか、牛タン。
なかなかいい戦いをしたと思うが、やはり座り心地が圧倒的に悪いし服に匂いが移るのは致命的だ。電車に乗って生臭くなったらもうそんな電車使わない。

やはり必要なのは電車のような何度乗ってもいいような快適さだ。

というわけでこちら

空飛ぶ自由が丘
「空飛ぶじゆうがおか(自由が丘)」

じゅうたんからかなり無理したがギリギリセーフだと思う。
いや、アウトな気もするし自分でも全く意味がわからないので深くは説明しないが、東急電鉄グループに全面協力をお願いして自由が丘を飛ばしてしまおう。

なんだろうか、このそこはかとないローカル感は。世界的な名作であるアラジンが東京都目黒区の地元の友達の話みたいになってしまった。どうやらこの「空飛ぶじゆうがおか」は九品仏に向かうらしい。アラジンとジャスミンが九品仏へ。ぶらり途中下じゆうがおかの旅である。需要あるのかそれ。

3つ例をあげて考えてみたが、どれもじゅうたんに勝てるポテンシャルは持っていなかった。

結論としては今のところ、じゅうたんが飛ばすのに最も適していると言わざるを得ない。
しかし、今後も魔法のじゅうたんがじゅうたんである必要性について考えていきたい。ぜひこれならもっと飛ばしがいがあるぜ!って物があったら教えてほしいのでよろしく。

では、また。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)