オリンピック・ランゲージ:デザインでみるオリンピック

ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されている「オリンピック・ランゲージ:デザインでみるオリンピック」展を見てきた。

デザインの観点で評価の高い1964年東京大会、1968年メキシコシティ大会、1972年ミュンヘン大会、1994年リレハンメル大会、2004年アテネ大会。各大会のデザインがどのように統一感と個性を表現してきたかを探る展覧会だ。

1964年 東京大会

まずは1964年の東京大会。白地に日の丸と金の五輪マークのエンブレムが印象的だが、これをデザインした亀倉雄策はコンペの提出締切日を忘れていてわずか2時間でデザインしたという。2時間!?

オリンピックという世界的イベントのコンペですら忘れる人がいるのだから我々庶民の仕事の抜け漏れなんてどうにでもなるなぁと気持ちを強くしてくれる。

それと東京大会といえば外せないのがピクトグラム。これ以降、各大会でオリジナルのピクトグラムを作成するのが恒例になった。ピクトグラムという言葉すらなかった時代にこれを作ったのは本当にすごいと思う。

英語が使えないという逆境を
デザインによって乗り越えた好事例

1968年 メキシコシティ大会

メキシコシティ大会はイベント会場や告知物だけでなく街全体を大会に合わせてデザインし、これまでの全大会の中でも特に高い評価を受けている。全体のプロデュースを務めたのはペドロ・ラミレス・バスケス。彼のリーダーシップがあったからこその成功とも言われている。

左上の渦巻きが先住民ウイチョル族の民族芸術

先住民ウイチョル族の民族芸術に着想を得た同心円状の波紋が当時流行していたオプ・アートのスタイルと結びついて生まれたのがこのデザイン。たしかに一目見ただけでもデザイン性の高さが感じられる。

デザインしたのはランス・ワイマン

このデザインはタイポグラフィを基本としてポスターやユニフォーム、競技施設に至るまで広く展開され、デザインのもと大会全体が統一された。今でもメキシコシティの街には当時のデザインが残っているという。

まだまだグローバルとは程遠い時代にメキシコシティという都市の個性と素晴らしさを世界にアピールするんだ、という強い意志が感じられる。

1972年 ミュンヘン大会

この大会にも「ナチス政権の元で開催された1936年ベルリン大会の記憶を拭い去り、戦前とは全く違う平和で色彩と喜びにあふれた国として新生ドイツの姿を世界に示す」という確固たる目的があった。その実現を目指して大会を率いたのはオトル・アイヒャー。

デザインの基盤となった6色のカラーパレット

1936年のベルリン大会で使われた赤と金の使用を禁じ、代わりに6色の虹色のカラーパレットを用いた。日本でもオリンピックといえば、赤や金というイメージが強いのでこういった爽やかな色使いはとても新鮮に感じた。

ポスターは写真をポスタライズして6色に置き換えた。フォトショのない時代に切り抜き、色付け、二重焼きのプロセスを実施した。

ポスターデザインを手がけたのは
風刺画家のゲルハルト・ヨクシュ

ゲルハルト・ヨクシュは最後に手がけた近代5種のポスターの背景の木立にプロジェクトメンバー5人の顔を入れ込む風刺画家らしい遊び心もみせた。大会ディレクターには内緒だったそうで度胸がすごい!

赤丸の部分がメンバーの顔になっている

ゲルハルト・ヨクシュは大会のピクトグラムも考案。このピクトグラムはオリンピック以外の場所でも使用されており、世界で最もよく知られるピクトグラムシステムのひとつ。アイヒャーの「アルタミラの壁画をイメージして」という言葉から生まれたという。

縦横の直線と斜め45度の線で構成されたピ
クトグラムは見ていて気持ちいい

1994年 リレハンメル大会

1987年に「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」とノルウェーで定義されたサステナブルな発展の概念がこの大会の指針となった。その指針に基づきほとんどのツールが自然に還せる素材で作られたという。

今でこそ声高に叫ばれているサステナブルだがそれを94年の大会で打ち出していたとはさすが北欧、意識が高い。

またこの大会のピクトグラムも特徴的だ。世界最古のスキーヤーはノルウェー人(ノルウェー北部のロドイ島で発見された4000年前の岩絵)と言われており、これに触発されたピクトグラムは岩絵のエッセンスが取り入れられた独特のデザインである。

細い線で描かれたピクトグラムは
ジャコメッティの彫刻のようで面白い

2004年 アテネ大会

デザインディレクターのテオドラ・マンザリスは古代ギリシャの遺産からシンプルかつモダンで職人的なグラフィック世界を創り出すアイデアを実現。古代キクラデス文化の芸術を想起させる滑らかなシルエットのピクトグラムを作成した。

キャラクターのようなピクトグラムで
愛着が湧きそう


以上5大会のデザインを通して感じたのは、やはり明確に伝えたい想いがあると強いということだ。個人的に一番印象に残ったミュンヘン大会はナチス時代の記憶の払拭を目的にイメージを刷新するような明るいカラーをまず定めてそこからデザインを展開した。

デザインとは何かを伝えるための方法だと思う。そうでなければ結局デザインは好き嫌いになってしまうからだ。だからこそ大会の軸となる指針を決めることが大切なのだ。

そういう意味でTOKYO2020大会は明確な軸が定まっていなかったように思う。コロナウイルスの世界的な拡大という未曾有の事態に直面し思うようにいかなかったことばかりだっただろう。しかしそんな時代だからこそ明確にすべき軸はあっただろうし、それをはっきりさせた上で全体のコンセプトを決めていれば違ったかたちになっていたかもしれない。

一方でインターネットが発達し、グローバル化が進んだこの時代に各国、各都市の個性を明確に打ち出すのはどんどん難しくなっているとも感じる。「東京」とそれ以外の先進国の都市を比べた時に「なんでもある」以外の東京らしさを如何に打ち出していくのか。今後の大会でも各国はこれまで以上に「個性」を突き詰めて考えていく必要があるだろう。

統一感のなさが取り沙汰されたTOKYO2020の開会式/閉会式はそれを考える良い機会だったと思う。この展示を見ることでそれを強く感じることができた。

展覧会は8月28日(土)までギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催中。

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