アメトーークから消された宮迫の、見切れた肩をお守りにしよう。

闇営業問題が世間をにぎわせている。

問題となった闇営業そのものは数年前の出来事だが、それを掘り返してきっちり謹慎まで追い込んでくるあたり、ここ最近文春砲に後塵を拝しがちなフライデーの底力を見た思いだ。

売れっ子芸人が複数謹慎処分を受けたことでテレビ各局は番組の再編集などの対応に追われている。中でも編集マンの苦労がバシバシ伝わってくると話題になったのがアメトーーク(6月27日放送)だ。

この日の放送は「ネタ書いてない芸人」ということで、通常のアメトーークではひな壇が二段設けられて前後に芸人が並ぶが、この日は片側にネタを書いてない芸人、もう片側にネタを書いている芸人、その間に司会の雨上がり決死隊というフォーメーションが取られていた。

上から見るとこのようなイメージ

通常の芸人が二段のひな壇にまとめられているフォーメーションの場合、ひな壇芸人と司会の雨上がりの二人は別のカメラで抑えられることが多いので、雨上がりの二人のショットをなくす、もしくは蛍原一人の絵にすることで比較的対応は簡単だっただろう。

しかし今回はよりによってスタジオのセンターに雨上がりの二人が鎮座ましましているので、編集はかなり大変だったと見受けられる。SNS上でも「編集の大変さを感じてしまって全然内容が入ってこなかった」という発言を少なからず目撃した。

ただ、個人的には「編集でここまで上手に存在を消せるんだな」と感心してしまった。今回に限らず芸能人が不祥事を起こすと、番組からはその芸能人の存在が消されるわけだが、その度に感心、もっといえばちょっとした怖さを感じている。

何が怖いって「テレビは編集でどうにでもなる」ということだ。今回のアメトーークは放送前から宮迫が謹慎に追い込まれたことは白昼に晒されていたため、画面に映らないものの「そこに宮迫がいる」ということを誰もが認識していた。しかしこれが全く話題になっておらず、かつメイン的な役どころでなければ、おそらく気が付く人は少ないのではないだろうか。それくらい画面から宮迫は綺麗に消されていた。

つまりテレビというのはいとも簡単にあらゆる事実や存在を画面から隠せてしまうのだ。(その逆もまたしかり)

別にテレビ局は嘘をついているわけではないのだが、そのくらい「見せ方」はどうとでも出来てしまうのだなと、不祥事で芸能人が画面から消される度に思ってしまう。別にテレビに限った話ではない。いかなるメディアも大小はあれど「見せるもの」と「見せないもの」はコントロールしてるし、かなりの範囲までコントロール出来てしまうということを肝に銘じておかなくてはならない。


思わず真面目な話をしてしまったが、本題はそこではない。

今回のアメトーークで存在を消された宮迫が「心霊写真のごとく」見切れてしまった、体積的に最大の出演シーンが以下の場面だ。

蛍原の右側に見切れる「見えてはいけない」肩

もし宮迫の謹慎と通常のアメトーークを全く知らない人が目を皿にして画面の隅々まで見ていたとしたら、この蛍原の右側に写った肩はかなり不気味に見えたはずだ。

ネタ書いてる芸人側の一番中央寄りにはかまいたちの山内がいたが、服の色が全然違うし、距離感的にもこんなに蛍原と近くない。一体この肩は誰なんだ!と「ずっと戦争が続いていると思ってジャングルで生活をしていたが昨日ちょうど日本に帰ってきて初めて見たテレビがアメトーークの人」は思うに違いない。昨日まで戦争中だと思っていて注意深さが身体に染み込んでいるので謎の肩の存在にも気が付くだろう。

しかし我々現代人は日々膨大な情報に晒されており、知りたくなくてもニュースが耳に入ってきてしまうので、この肩が宮迫の肩であることを知っている。

このシーンを見て宮迫の何がいけなかったのか思いを巡らせてみる。闇営業も反社の会合に参加するのも良くなかったが、さらに世間の心証を悪くしたのが、最初に「お金はもらっていない」と嘘をついてしまったことだ。ここで最初から本当のことを言っていればここまで事態は悪くなっていなかったかもしれない。

でも宮迫の気持ちは分かる。自分の身を守りたいから、怒られたくないから、どうせばれないから、色々な思惑でとっさに嘘をついてしまうことが自分にもある。この謹慎は他人事ではない、明日は我が身である。

この宮迫の肩はそう教えてくれているような気がする。もしかしたらしばらく表舞台から姿を消す宮迫の「かたみ」なのかもしれない。見切れた肩、「肩見」であり「形見」である。

これはお守りにしなくてはいけない。

テレビ画面から

宮迫の肩を切り出し、

段ボールを肩の形にカットし、

セロテープで切り出した肩と段ボールをくっ付けてキーホルダー用の穴を開ける

宮迫の肩をいつでもそばで感じられるようにキーホルダーにした。これで常に「嘘をついてはいけない」と意識することが出来るだろう。

カバンにもつけられるし、

首からも下げられる。

生きていれば宮迫のように反社会的組織の打ち上げに参加してしまい、ちょうどライバル組織が襲撃してきて目の前で銃撃戦がはじまることもあるかもしれない。

そうなれば流れ弾に当たってしまうこともあるだろう

しかし血は出ていない。なんと宮迫の肩が銃弾から守ってくれていた。

宮迫の肩が守ってくれたのだ。謹慎を余儀なくされた宮迫が最後に見せた雄姿に感謝しつつ、また表舞台に戻ってくるのを待っていたい。

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