大倉山はギリシャだった

大倉山という地名を知っているだろうか。東急東横線の駅名にもなっている。横浜市港北区の区役所があるため、港北区民は1回は行ったことがあるだろう。

私も港北区民のはしくれだったので何度か訪れたことがあるが、この度港北区外へと引っ越すことになった。諸々の手続きを行うべく先日大倉山に再訪したのだが、引っ越すということは今後大倉山に来る機会はめっきり減るだろう。そう思うと「大倉山にさよならバイバイ」というポケモン的感情が湧き上がってきたため、最後に駅周辺を散策することにした。

大倉山の山頂を目指す

始めに気になるのは、大倉山という駅名であるからには近くに大倉山という山があるはず、ということだ。それならばその山頂を踏まなければ大倉山を語ることは出来ない。

調べてみると駅の西側に伸びる高台部分に建っている「大倉精神文化研究所」(現在は大倉山記念館という名前に変わった)という何やら怪しげな施設が大倉山という地名の由来になったようだ。まずはそこを目指してみよう。

改札を出て右側(駅の西側)に進むとすぐに線路に沿って伸びる坂道がある。ここを進んでいくと大倉山記念館へと行くことができる。

けっこう急な坂道

途中の看板が可愛い

駅から徒歩4、5分で大倉山公園に到着

短い距離だが、かなりの急な坂だったため一気に標高が高くなった。

地形図アプリで確認してみると、この大倉山公園一帯が細長い尾根に位置していることが分かる。

赤い丸が大倉山駅

駅の西側に細長く伸びているのが大倉山公園だ。つまりここが駅名の由来になった「山」ということになる。

縄文時代にこのあたりがまだ海だった頃、この大倉山公園は岬のように海に突き出していたそうだ。その姿が動物の太い尾のように見えたことから、このあたりには太尾(ふとお)という地名がつけられた。大正15年に東急東横線(当時は東急横浜電鉄)が開通した際にも「太尾」という駅名がつけられたが、昭和7年に大倉精神文化研究所が創設されたことを機に、駅名も大倉山へと変更されたのだ。

そんな地形と地名に想いを馳せつつさらに進むと、大倉山記念館が現れた。

大倉精神文化研究所として創設されたが、現在は横浜市に移管され大倉山記念館として運営されている。

ギリシャ建築風の立派な建物だ。大倉山公園の中で最も標高の高い地点がこの大倉山記念館が建つ場所なので、ここが“大倉山の山頂”ということになる。駅から徒歩で約8分、あっという間に大倉山登頂である。

大倉山のシンボル「大倉山記念館」

早速、大倉山記念館に記念館に入ってみよう。入場料などはかからず、基本的にいつでも入ることができる。

入ると目の前に重厚な石造りの階段が鎮座している

階段側面の模様。3つの要素が上手く組み合わされていて見ていて落ち着く。

階段の上で天井を見上げるとそこにはライオンの像が並んでいる。どれかの像と目が合うとか合わないとか。

2階の回廊を囲む手すりのディテールが美しい

ギャラリーの文字が可愛い

館内ホール入口の装飾も可愛い。こういうお菓子あるよね。

館内のトイレの「おす」も味があって良い。上の部分がちょっとう◯こっぽい。

気になった部分の写真を並べてみたが、そもそもこの大倉山記念館は実業家の大倉邦彦という人が大倉精神文化研究所として創設したもので、人文科学や社会科学に関する調査研究を行っていた組織である。現在もこの研究所はこの建物内で活動を行っているらしい。何やら難しそうなので深入りはしない。

また、建物は「ギリシャ風」とも呼ばれるプレ・ヘレニズム様式が採用されている。これはギリシャ建築創成期のクレタ文明に由来する様式だ。ギリシャ風とはどういうことか。分かりやすくいうと、ギリシャ建築として有名なパルテノン神殿に似ているなーと思ってよく見ると柱の作り方が違ったりする(両端が細く中央が太いエンタシスではない!)、ということだ。つまりサイゼリヤがイタリアンレストランではなくイタリア風レストランなのと同じである。全然分かっていないのでこちらも深入りはしない。

大倉山記念館には図書館も併設されているのだが、そこで地図で振り返る港北区のようなミニ展示が開催されていたので、こちらにもお邪魔してきた。過去に発行されたいろいろな地図で港北区の歴史を振り返るような展示で、普段目にすることのない過去の地図や路線図などを見ることができた。

東京横浜電鉄・目黒蒲田電鉄 沿線案内(昭和5年10月発行) 表紙の子どもがボーイにもガールにも見える

大倉山駅が太尾駅だったことが分かる。そして綱島は温泉街で、当時は武蔵小杉駅はなかったのか、知らなかった。

昭和14年の東横電鉄のパンフレット。太尾駅は大倉山駅に変わっているが、武蔵小杉駅はまだない。

そして大倉山駅前にあるエルム通りがオープンした際のポスターも展示されていた。

昭和63年のエルム通りオープン時のポスター

その中に気になる記述を見つけた。

赤字を引いた部分に注目

なんと大倉山駅前の商店街も、大倉山記念館と同じプレ・ヘレニズム様式を取り入れてギリシャ風の様式で統一されているというのだ。本当だろうか。この通りは1、2度歩いたことがあるが全く気が付かなかった。これは確認しにいかなければならない。

ちなみに大倉山公園の奥には梅園や東横神社という渋沢栄一を祀った神社がある(神社は一般には非公開)

大倉山にはギリシャがあった

というわけで大倉山駅に戻り、駅の西側に向かって伸びるエルム通りを歩いてみよう。

通りのスタート地点にさっそくギリシャっぽいモニュメントが。

モニュメントの説明を読むと、この大倉山エルム通りとギリシャのアテネ市は姉妹提携を結んでいるらしい。オリンピック発症の地でもある世界的に有名な都市アテネが、“世間のイメージとは違う方の横浜”にある一介のストリートと提携を結んでいるとは驚きである。もうちょっと仕事を選んだほうがいいぞ、アテネ。

そんなことを思って改めて通りを見てみると、予想以上にギリシャ風であった。

柱や上部の造形がギリシャっぽい!

意識してみるとなんとびっくり、しっかりギリシャ風だ。ギリシャなのに松屋があり、横浜信用金庫がある。チグハグがすぎる。テルマエ・ロマエでは風呂が古代ローマと日本を結んでいたが、ここでは松屋がギリシャと大倉山を結んでいるのかもしれない。

街並みが白い。うん、ギリシャだ。

ペディメント(日本建築でいう破風)があるのとないの

間口が狭いパターン

柱が太いパターン。ここは柱の上が太く、下が細いプレ・ヘレニズム様式の特徴がよく分かる。

モスバーガーギリシャ店

このような正統派ギリシャ風物件が多く残る中、改築などで当時のギリシャ風が失われてしまったからなのか、ギリシャ感をかもし出そうと必死に頑張っている柱も見ることができた。

とってつけた感しかないギリシャ風の柱

足下の形だけギリシャ風。奥の柱に至っては白くないのにギリシャ風を出そうとしている。

必死すぎて愛くるしい。こういう頑張りを評価できる大人になりたい。

そしてここまでしてギリシャ風を装っているのを見てしまうと、もうここはギリシャだと言ってあげないとかわいそう言わざるをえない。

週末は地中海の風を感じたい、そんな時は東急東横線に乗って大倉山にいこう!

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