横浜トリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」 

今回で6回目を迎える横浜トリエンナーレに行ってきた。現代アートはどんな作品があったかすぐ忘れてしまうので、備忘録として残しておきたい。

さて、横浜トリエンナーレに行くのは2011年、2014年につづいて3回目だ。今ではメイン会場として使用されている横浜美術館が使われ始めたのが2011年なので、現在の体制が整ってからは毎回鑑賞している。

過去の開催を振り返っておくと、2011年は「OUR MAGIC HOUR ー世界はどこまで知ることができるか?ー」を副題として「世界や日常の不思議、魔法のような力、神話、伝説、アニミズム等」をテーマにした作品を、2014年は「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」を副題として「忘却」をテーマにした作品を扱っていた。

そして今回の副題は「島と星座とガラパゴス」。[島][星座][ガラパゴス]は、接続や孤立、想像力や創造力、独自性や多様性などを表すキーワードということで、「接続」と「孤立」がテーマになっている。

今、世界ではSNSなどの発達によりグローバリズムが進むと同時に、イギリスのEU離脱やトランプの大統領就任などナショナリズムの台頭も見受けられる。そんな世界の動向を受けてのテーマ設定であり、前回、前々回に比べると時事的な流れを組んだ展覧会になっていると感じた。個人的には現代アートは「現代社会への示唆」が含まれていたほうが深い感じがして好きなので、性には合っていたように思う。

ただ全体のボリューム感というかガツンとインパクトのある作品が少ない気がした。ちなみに参加アーティスト数が2011年は77組、2014年は65組ときて、今年は38組とかなり絞り込まれている。参加アーティストが絞り込まれた分、1組のアーティストの展示作品数が増えており、一つ一つの作品のインパクトではなく、各アーティストの世界観を重視する展覧会を意識しているのかもしれない。

というわけで前段が長くなったが、以下気になった作品です。

※文中の『』内の文章は展覧会パンフレットより引用

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■アイ・ウェイウェイ(艾未未)/《安全な通行》・《He Xie》

横浜美術館の外観を覆う救命ボートと救命胴衣は近年大きな問題となっている難民問題を、また大量に敷き詰められた蟹の名を取った作品《He Xie》は中国のインターネット上で「検閲」の隠語として使われている言葉と同音異義語となっており、どちらの作品も中国における権力構造と大衆の関係性を示唆している。

アイ・ウェイウェイは今回のトリエンナーレの目玉ともいえる現代アーティストで、中国の現代美術の先駆けでもあり、先導役でもある。この2作品のように同じモチーフを大量に並べたり積み重ねたりする作品が多く、割と意図が分かりやすい。たくさん同じものが並んでいるとそれだけでインパクトがあるので誰でも楽しめると思う。

■ミスター(Mr.)/《ごめんなさい》

萌え系アートは村上隆に任せておけばいいのに…と思って調べてみたら15年以上、村上隆の弟子として活動しているそうな。そりゃ同じような作風なわけだ。

村上隆よりもさらに萌え、ロリに寄った作風で、普通に描いてりゃコミケのいちサークルといったところ(実際コミケに作品出してたこともある)だけど、それをアートに昇華させているのは本人はもちろんだけど村上隆の指導力もすごいんだろうなと。調べていたらアニメ「けいおん」の最終回を見て、

僕は萌えアニメの潮流に限界を感じた。正直。僕は。
今後は、「萌えアニメの今後は、潮流は、みんな勉強をして、人間の哀愁アニメへ移行」
しかないと思った。

「哀愁」は幅広いし、深い、国民的だ。萌えアニメの行こうとしていたところは
国民的、敗者的なところから生まれる美があった。
毎週聴いているNHKのど自慢。いまや、新しい「哀愁」表現を絡めている。

って書いていた。それで今回の展示のタイトルが《ごめんなさい》。『生活している上で、生活して制作していく上で、あまりいろいろさらけ出すと、あまりかっこいいものではなくて、もう申し訳ありません』という気持ちが表れたタイトルなようだけど、これが「哀愁」の表現なのかも。なんかちょっとイタイな、くらいが本来の萌えのあるべき姿なのかもしれない。

■カールステン・ヘラー、トビアス・レーベルガー、アンリ・サラ&リクリット・ティラヴァーニャ/《優美な信頼(盲目的集合体のコラボレーション)》

4人のアーティストが共同で作成した作品。作り方がユニークで、前の作家が制作した作品の終わりの1センチほどの部分のみを手がかりに自分のパートを仕上げていくことで、偶然が生み出す可能性を探る作品だ。この手法は1920代のパリでシュルレアリストたちが展開した「優美な屍骸」と呼ばれるもので、当時は絵に限らず文章や詩などで同様の手法が使われた。

小学生の時に文節ごとにバラバラに考えた言葉をつなぎ合わせて変な文章をつくるゲームをやったことあるけど、芸術家も実践する高尚なゲームだったんだな。無駄にかっこいいので「優美な屍骸」ゲームって呼び名を広めていきたい。

■ザ・プロペラ・グループ、トゥアン・アンドリュー・グエン/《AK-47 vs. M16》

ベトナム出身のアーティストたちによる、ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した銃弾AK-47とソビエトが使用した銃弾M16を特殊なジェルブロックの中で衝突させた作品。

メッセージ性が露骨だが分かりやすくて良い。こういう紛争を題材にした作品は第二次世界大戦以後に戦地となった土地出身のアーティストのほうがインパクトのある、心に訴えかけてくる作品が多い気がする。やはりまだまだ紛争の残り香が欧米よりも身近なのだろう。

■ブルームバーグ&チャナリン/《ロンドン自爆テロ犯》

2005年に起きたロンドン自爆テロ事件を色とりどりのキューブで表現した作品。作者の2人は現代社会を揺るがす事件や事象を抽象的イメージに置き換える作品を制作している。思い出したくない記憶をアートとしてどう留めるのか、これは現代アートの1つの役目だと思うので、その点で記憶に残る作品だった。

■ザオ・ザオ(赵赵)/《プロジェクト・タクラマカン》

日本で本格的に紹介されるのは今回が初となるザオ・ザオの作品。2015年に実施された《プロジェクト・タクラマカン》は、冷蔵庫をタクラマカン砂漠の真ん中に運び、ビールを冷やして飲むという試みで、電源は砂漠北部のウイグル族の家庭から23日間かけて電線を引いたという。展示されているのは実際に使用された冷蔵庫と電線の一部。

ウイグル自治区出身のザオ・ザオは、これまでも現代の中国が抱える諸問題に正面から切り込む作品を発表してきたという。グーグルで「ザオ・ザオ」と検索してもまだあまり情報が出てこない(赵赵で検索すれば出て来るが中国語のサイトばかり…)が、今後注目していきたいアーティストだ。

■マウリツィオ・カテラン/《無題》

ホロコーストに現場にヒトラー像を設置したり、中指を立てた彫刻を作ったりと、辛辣でユーモアあふれる作品を作り続けるマウリツィオ・カテランの作品。壁から吊り下げられた人形はカテランの分身。彼は『自分の存在を消してしまいたい衝動と、自身の考えや作品を世界に増殖させたいという野望を持つ』という。

SNSや匿名の発信ツールが蔓延る現代において、この一見すると相反する想いは、多くの人が大なり小なり抱えているのではないだろうか。孤独になりたくてもどこかで社会とは繋がらざるを得ないこの世界を考えさせられる。

■宇治野宗輝/《プライウッド新地》

家電製品やエレキギターなどが動いて音を奏でるサウンド・スカルプチャー作品。宇治野宗輝は今年の恵比寿映像祭でもパフォーマンスを行っていて気になっていたんだけど、インスタレーションというかたちで展開されるとよりダイナミックで面白い作品になっていた。映像と演奏が交互に繰り返されるのだけど、あまり時間がなくて映像をしっかりと見ることができなかったのが残念。

ちなみに完全に余談だけど、サウンド・スカルプチャーの流れで紹介すると、「INDUSTRIAL JP」っていう日本の町工場をレーベル化するプロジェクトがマジでカッコいいので興味ある方はぜひ見てみて。

■Don’t Follow the Wind

最後に紹介するのは、Chim↑Pomが中心となって、最初に紹介したアイ・ウェイウェイをはじめとした12組のアーティストが参加しているプロジェクト。東日本大震災の4年後の2015年3月11日から、福島第一原子力発電所の帰還困難区域内に作品を設置している。一般の人がこの作品を見ることが出来るのは封鎖が解除された後で、それは数年後か数十年後か分からない。今回の展示では作品展示場所の360度映像をVRゴーグルを使って見せることで、プロジェクトの一部を紹介しているが、作品の詳細については知ることができない。

「接続性」や「孤立」をテーマにするならば東日本大震災は避けては通れない題材であるが、このプロジェクトの「見に行けない展覧会」という制約がより今回のテーマとの親和性を高めている。

2015年の秋にDon’t Follow the Wind展がワタリウムで開催されており、その展覧会に行ったのでプロジェクトの存在は知っていたが、サテライト展示を鑑賞するのはそれ以来なのでちょうど2年越しだ。2年前とは生活の環境も大きく変わり、長い時間が経ったなぁと感じるが、帰還困難区域の封鎖が解除されるまでの期間と比べれば2年なんて短いのかもしれない。そんなことを考えさせられる公開されるまでの期間も作品の一部という意味でも今後も目が離せないプロジェクトである。

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こうやってまとめてみると案外しっかりテーマに沿った作品が集められていることが分かる。逆にテーマありきで作品を解釈しているので、そう感じるのかもしれない。どちらにしろテーマは作品を理解する大きな切り口になるので展覧会やアートイベントにおいては大事な要素であることが改めて実感できた。

最後に、余談にはなるが、先日2019年のあいちトリエンナーレの芸術監督としてジャーナリストの津田大介が就任する(また企画アドバイザーには東浩紀が就任する)ことが発表された。津田大介は下記のようなコメントを寄せている。

この度、芸術監督に就任させていただくことになりました。依頼をいただいた時には思わず二度見しましたが、物事の本質や、その多様な見方を他者に伝えるという意味で、アートとジャーナリズムは共通する部分があると思い、お引き受けすることにいたしました。文化的不寛容の波が世界を覆い尽くそうとしているいまだからこそ、アートやジャーナリズムの力が問われ、求められています。時代を切り取り、境界を超えて既知と未知をつなぐプログラムを、様々な人の力を借りながら全力で考えていきたいと思います。

津田大介も言っているとおり、今回の横浜トリエンナーレのような時事性の強いテーマにおいては、アートとジャーナリズムは共通する部分が少なからずあるだろう。今回の横浜トリエンナーレの作品を見てよりそう感じた。偶然にも東浩紀が今年の4月に発表した『ゲンロン0 観光客の哲学』でも「接続性」と「孤立」に繋がる思想が展開されている。

面白いので興味ある方はぜひ読んでみてほしい。

現代アートの行方をこれからもチェックしていきたい。

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